無酸素BLOG

意味なんてねーよ、意味なんて

ウォシュレットが使えない

こんばんわ、蒼也です。

ちょっと小奇麗なトイレであれば、最近はウォシュレットは標準装備されています。

てか、ウォシュレットってタイピングしづらい。いま気づいた。なんか裏技あるんですか、アルファベットにすると、ulosyurettoって打つたなあかん、めんどくさい。


それは置いておいてですね、なんか前のブログでも書いた気がするけど、俺はウォシュレットが苦手なんです。

なぜみんなこうも平然とウォシュレットを使用できるのかが不思議なくらい苦手なのですが、いまだにウォシュレットがトイレの標準装備的立ち位置に居続けているのを見ると、俺のようなタイプはかなりマイノリティーなのだろうと、肩を落とすしかないのです。


そもそも、ウォシュレットの何が苦手なのかというと、ウォシュレットって穴の穴の中に水が入り込んでくるじゃないですか。すると俺がケツが刺激されて、出し終わったうんこがふたたび舞い降りてくる。少量のうんこ的な何かがこんにちわしてくる。

それをふたたび洗浄しようと、ウォシュレットを吹きかけると、また新たな生命がこんにちわしてくるのですよ、エンドレスですよ、何週繰り返してもバッドエンドですよ、「ウォシュレットを使用する」の選択肢でフラグが立つのですよ。


水圧を少し弱くしてもそれは変わらないのです。


最弱にするとぜんぜん綺麗になる効果がない。うんこのかすが少ししっとりするだけ。

普通の人はどんだけ強靭なアナルの持ち主たちなんだと、ただただ驚愕の日々です。

女の肉

こんばんは、蒼也です。

今日は昔からの友だちのきちがい野郎と飲んできたのですが、クンニを2時間続けられるという話で盛り上がりました。


だいたいアレですよ、俺ももう32なのですが、年をとると共に女は肉だと思うようになってきました。

昔は細い女が好きだったのですが、よく考えると痩せた女はそそらないじゃないですか。

戸田恵梨香とか好きなんだけど、体にエロさを感じないのです、違うんです、もっとこう、山本梓の身体がいいんですよ。

女はある程度むっちりしてるほうがエロいのです。


そう、山本梓の肉。


やばい、軽く勃起する。


たとえば職場でふと山本梓の肉と俺の肉がボーイミーツガールするところを想像してしまったら勃起するじゃないですか。


そうなったら、俺はそれを必死で隠さねばなりません。

勃起しながらキーボードを叩きマウスをまさぐっていたら、あいつマウスフェチなんじゃないか気持ち悪い、蒼也くんったらマウスに欲情してるのハレンチね、だなんて思われるに決まってるじゃないですか。


だから俺は必死で隠します。


外からは絶対に見えないように、ものすごく椅子に深く座るしかない。なんか机の下から顔だけが出ているような状態になるけど、勃起してる下半身を見られるよりはマシです。

でもその状態でいると、俺のマイドラゴンの先端が引き出しの底にあたって擦れるのです。


俺は恍惚の表情を見せながら今日も業務をこなしました。お疲れ様でした。

パワポをPDFに上手く変換できない

いつもprimoPDFを使用して、パワポの資料をPDFに変換しているのだが。


どうもフォントに新ゴなどのTrueTypeフォントを使っていると、文字がところどころ抜けたりと、上手く変換できない。


primoじゃなくてcubePDFってのを使ってみても同じ。


で、いろいろ調べてたら上手く変換する方法を見つけたので忘備録として。



1.印刷画面でcubePDFを選択した状態で、プロパティ→詳細設定。

2.「ドキュメントのオプション」→「PostScriptのオプション」→「TrueTypeフォントのダウンロード」

3.「自動」から「アウトライン」に変更



これで上手くPDFに変換できた。ちなみにprimoだとあかんかった。

クチコミに惑わされないように

インターネットがすっかり普及して、いろんなものの評判を目にすることができるようになった。


本が出版されればamazonでレビューがつき、ゲームや映画、飲食店だって、たくさんのレビューがつき点数が付けられる。

おかげで自分で体験する前にある程度の商品の質が予測できるようになった。便利便利。

評価の高い飲食店に初訪問するときとか、やっぱ期待は高まるしわくわくするし、俺たちの生活を豊かにしてくれる仕組みなのだなあ、とか思ったりもする。


けれど、あまりこういったレビュー・クチコミ評価に踊らされすぎるのももったいないとも思うわ。


だいたい人の好みっていうのは案外バラバラなものである。

海老が大好きな人も入れば、苦手な人もいるし。好みの女の子のタイプだって、人によってバラバラだ。

だから、クチコミ評価があまり高くないからって手をつけないのは勿体無い気がする。

その中にも自分にはめっちゃマッチするものって、たくさんあると思うのだ。


もうひとつ。

たとえば同じ映画を観ても、自分ではそこまでオモシロイと思ってないくせに、クチコミ評価が高いものだと「ああ、やっぱ面白かったな」って思ったり、その逆とか、そんな心理ってあると思うのだ。

みんながいいっていうものは、きっといいものなんだなって思ってしまう心理。


やっぱり何か勿体無いよなあ。



先日、クチコミでの評判がそんな高くなかった「チャーリーとチョコレート工場」を観て、でも思ってたよりずっと楽しめた自分がいて、そんなことを強く思ったのでした。

そういや、アリス・イン・ワンダーランドも評価の割りに、俺は面白かったし、他人の評価なんてやっぱりそんなもんなんだな。

映画ブーム

基本的に、映画はすごく好きなんだけど、ここしばらく本業がごたごたしていたせいもあってか、ほとんど観れていなかった。


ということで、またちょっと観だしています。


ちなみに好きな俳優を3人挙げるとするならば、

エドワード・ノートン
ウィレム・デフォー
ジョニー・デップ

だな。

麻雀とは人生の縮図である(キリッ

最近、頭の体操の意味も込めてネットで麻雀をやっとる。

雀龍門ね。


俺ってば、こういう反射的な頭の回転が遅いから、日頃からちゃんと訓練しとかないとどんどん鈍っていくのである。

そういう意味で、麻雀やるのってかなり効果的ではないだろうかね。

で、麻雀やってて感じたのが、麻雀っていうのは人生の縮図なんだなーということ。


そもそも麻雀というのは確率のゲームだ。いや、知らんけど、勝手に俺がそう思った。

自分の順番が来るたびに、新しい牌をツモって、その代わりにどれか手持ちの牌を捨てる。というのを規定の回数、もしくは誰かが上がるまで繰り返す。

その際、どの牌を捨てるかがとても重要なのだよ。もっとも上がりに近づける可能性の高い牌を捨てていくわけだ。次にツモる牌がどんな牌なのかはわからんので、正解なんてものはわからない。でも、確率ならば予測できる。そして、少しでも可能性が高い選択肢を選んでいくことが、勝利への近道となるのだ。


人生なんて選択の連続だ。

それぞれの選択に正解なんてものはないけれど、何かの目的を持っていたとして、その目的を達成できるための可能性は、それぞれの選択肢ごとに違いがあるはずだ。

そういった選択を繰り返して、人生は進んでいくんだぜ。


それと、麻雀にはどれくらいの点数で上がるかをある程度コントロールできる。

高い点数を狙えばそれだけ上がりにくくなるし、安くていいならそのぶん上がりやすい。


たとえば独立起業してやっていくという選択肢であれば、とても高い点が狙えるけれど上がるのは難しい、ということかもしれない。

そんなことをぼんやり考えていると、麻雀やってるとその場その場の判断力がつきそうな気がしてくるわ。


誰か、麻雀の強さと実際の仕事の出来具合についての相関関係を調べてくれんかな。